【切迫早産管理入院 番外編】産後の子宮トラブル。子宮内膜掻爬術を受けた話し

切迫早産管理入院体験記

こんにちは、てるこまです。

切迫早産で入院した私の記録です。

出産の記録はこちらから読めます。

記事タイトルのとおり、今回は産後トラブル・出血の話しです。痛々しい内容なので、苦手な方はご注意ください。目次見て判断して下さいね!

産後トラブルは突然に。前触れなしの大量出血!

それは、退院日の朝に突然起こりました。

2ヶ月近くの入院生活の末に息子を出産した私ですが、産後は、通常の自然分娩の入院日数で退院の予定。

息子は低体重でしたが、幸いなことにNICUにお世話になることはなく、入院中は母子同室。慣れない新生児のお世話で身体は疲れていたけれど、精神的にはとても充実していて、産後の入院は楽しかった!

やはり長く入院していると顔見知りも増えるわけで。病院の先生方、助産師さんだけでなく、お掃除のおばちゃんやリネン交換のお姉さん方が、日々代わる代わる赤ちゃんに会いに来てくれました。嬉しかったなぁー。

そして迎えた退院日。いつもの通り、回診を受ける息子を新生児室に預けた後、お手洗いに行った帰りのことです。

つーーーーっ…と、何かが足を伝う感覚がありました。

痛みなしの出血でパニックに…

初めは「これは、尿漏れってやつかな…?」と。

産後はそういうことがあるってよく言いますよね?取り敢えずお手洗いに戻ろうと、歩き始めた瞬間!

ダダダダダダーーーーーーッ!

「!?」

産後のごっついパッドをぶっちぎって、ジャンジャンバリバリ流れ出てくる感覚!※この時、痛みは全くありませんでした。

この時点での私は、まだ尿漏れと信じ込んでいたので、焦りと恥ずかしさで泣く寸前。

「出産の過程で、膀胱や尿道の機能がおかしくなってしまったんだ!自力で尿を止めることができないなんて…。この先の人生どうなるんだろう…。いや、さっきトイレに行ったのになんでこんなに出るんだ!?」結構パニックでした。

お手洗いまではほんの10メートルのほどの距離ですが、必死に移動してなんとか到着。腰を降ろした時、ようやくわかったのです。

これまで流れ出ていたものが、血液だということに。下着はもちろんパジャマのボトムス、靴下・スリッパに至るまで血だらけ。その量といったら、黒光りする程でした。

そして、こんなに大量に出血しているのに一切痛みを感じていないこともまた、怖くなりました。

分娩室へ搬送。処置が始まる

まずはとにかくナースコール。病院っていろんなところにボタンがあって本当にありがたい。出血したことを伝えると、迎えに行くので動かないように言われました。

私自体は痛みや目眩もないので、そのままトイレに座ったまま待つこと数分。個室をノックする音が。ドアを開けると、そこに立っていたのは山ちゃんだったんですねー。

「廊下の血って全部てるこまさんのですか?今、みんなで拭いてるんだけど…体調は大丈夫ですか?車椅子持ってくるので、待っててください!」

やはり廊下にも血が溢れていたようです。さすがの山ちゃんも、ちょっと焦っていました。

そして私は、血だらけの状態で車椅子に乗り、そのまま分娩室へ直行。まさかこれから出産並みに痛い処置が始まるとは…思いませんでした。

子宮内膜掻爬術とは?未知の処置に恐怖!

再び分娩台に乗った私を山ちゃん含め、2人の看護師さんが次々と処置してくれました。

パジャマのトップス以外は脱ぎ、腕は点滴ルートの確保(何度目…)血圧を測っているうちに、先生が到着しました。

内診をする時のような感じで色々と処置が進められます。出血は尿道ではなく、子宮からということがわかりました。

どーりで、自力で止められなかったわけだ!膀胱と尿道の無事がわかって一安心。しかし、これから出血点を探し子宮の中を綺麗にする処置・子宮内膜掻爬術を始めるということも告げられたのです。

なんだか怖そうな名前に怯える私。しかしそれ以上に気になることがありました。ものすごくどうでもいいけれど、とても気になることが。

この先生、誰?

そうなんです。この先生、まっっったく知らない先生なのです。これまで1度もお会いしたことのない先生がまだいたことにも驚きましたが、よりによってこんなトラブルの時に初めましてとは…。

この先生は、夜勤だけ現れる先生なのだろうか。それとも今月から移動になったのかな。お名前って…

しかし、そんなどうでもいい疑問はすぐに吹っ飛びます。

何故って処置が始まったら、出産並みに痛かったのですから…。

子宮内膜掻爬術とは、子宮内の残留物を掻き出す処置のことです。出産は、子宮口が全開になっているわけですが、今はそうではない。

私は今、無理矢理、子宮口を開いて固定して残留物を掻き出されているのです。麻酔無しで。

麻酔無しだよ?あまりの痛みに驚愕していると(痛すぎると声出せないタイプ)、両サイドの看護師さんが肩をさすってくれました。

痛い痛い痛い痛いよーーー!(あとこの人誰…)いや、やっぱり痛いーーー!

という感じだったかな。出産並みの痛みとお腹の中を掻かれる違和感と…(多分お臍の裏まで搔いてた)。処置自体は10分も無かったと思います。

私の場合は、排出されきれなかった悪露が子宮内に溜まり、動いた拍子に一気に流れ出たのだとか…。産後すぐから子宮の戻りがすごく良いと言われていたので、ちょっと油断していました。

最後は子宮収縮剤を点滴して終了。結局、ようやく落ち着いてきた後陣痛をもう一度味わうことになりました。

服が無い!からの、産後6日でリンクコーデを実現w

処置後はしばらく分娩室で安静です。息子のことは、新生児室で預かってくれることになりました。

処置を終えた私が、何も履いていないことに気づいた山ちゃんが

「てるこまさん、着替え持ってくるけど、荷物のどの辺りにあるかな?」と、聞いてくれました。

しかし、またまた困ったことが。なんと、一切着替えの類が無かったのです。

それというのも、2ヶ月入院した私はかなりの荷物があり、退院に先駆けて家族に持ち帰ってもらっていたんですよね。

衣類は退院の時の服だけ。パジャマ・下着の替えはなし。そのことを告げると、病院側が色々貸してくれることに。パジャマは病院からのレンタルを支給してくれ、下着は…おむつでした。

おむつ。おむつって、息子が履いてるあれだよね?こんな形で、息子とお揃いデビュー。これもひとつのリンクコーデってやつなのでしょうか。

動けない私に山ちゃんがおむつを履かせてくれながら言いました。

「てるこまさん、分娩台までだってパンツだけは履いてたのにねー!まさかのおむつだね!」

とどめの一言。何故か急にフランクな口調。でも、山ちゃんがあの時1番に駆けつけてくれたから、良かった…。

感謝を胸に病院を卒業しました

安静中、もう一度あの先生が分娩室に来ました。

「今回の出血は、悪露が排出されずに子宮に溜まっていたものと考えられます。多目に入院して、様子を見ましょう。もしまた出血したら、その時は出血箇所を焼いて止めます。」

怖っ。

結果として、余分に入院しましたがその後大量出血することはなく、病院側の好意で息子も長く入院させてもらい、一緒に退院することができました。

自分でも驚いたのは、入院が伸びてもなんとも思わなかったこと。むしろ、出血が退院する前でよかった!安全がわかるまで入院させて下さい!と思えたくらいなんですよね。

出産するとこんなにもガラッとマタニティブルーが抜けるものなのでしょうか。病院に慣れていたということも大きかったのかもしれないですが。

そして数日後、無事に退院しました。

実は、病院の外観を見たのはこの時が初めて。入院した時は、救急車で搬送されて来たからね。それから2ヶ月。辛くて孤独な日々でしたが、この病院に母子ともに守られ支えてもらったという事実に心から感謝しました。

転勤先の自宅から、高速乗って1時間。縁もゆかりもない場所が、一生忘れられない場所になりました。その後、息子が生後半年の頃にふたたび転勤となり、更にあの病院とは距離ができてしまいましたが、息子がもう少し大きくなったら、家族みんなであの街に行くことが、私の小さな楽しみです。

これで、私の妊娠と出産の記録を終わります。

つたない文章でしたが、長々とお付き合いくださった皆さま、ありがとうございました。

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