【切迫早産管理入院】マタニティブルーとは無縁と思っていた私がどっぷりと沼に浸かったはなし。

切迫早産管理入院体験記
てるこま
てるこま

こんにちは。今回はお久しぶりの管理入院体験記です。

あんまりネガティブなことを書いても…と思って避けて来ましたが、入院中の私の精神状態を記しておこうかなと思います!

はっきり言ってクヨクヨ・メソメソな情けない状態ですが…

入院中は、沢山の管理入院ブログを読んでは勝手に共感して励まされ、とってもパワーになりました。僭越ながら当ブログも、何かのお役に立てればと思い、正直な気持ちを記しておきたいと思います。

里帰りを楽しみにしていた私。その期待が仇となった?

私はそれはそれはもう、里帰りできる日をを楽しみにしておりました。

結婚を機に仕事を辞め、交際中は遠距離だった夫のいる県に移り住んだ私。学校も就職先も全て実家から通った私は、当然一人暮らし経験もなく、初めて親元を離れた訳です。また、引越し先は所謂車社会の地。ほとんど運転をしたことがなかった私は、環境の違いになかなか馴染めませんでした。

とにかく人と接したくなりパート探しはじめますが、ありがたいことに妊娠が発覚。取り敢えず職探しは中断しました。自宅で穏やかに過ごしながら、お腹の我が子の成長を感じていられるなんて、本当に恵まれていると思います。

ご迷惑をかけてはならないからとパート探しは辞めようと決めたのは自分でしだが、やっぱり寂しくなってしまうんですよね。朝、夫を見送ってから帰宅するまで誰とも会話の機会がなかったり、友達にも簡単に会いに行ける距離ではないというストレスが、気付かないうちに蓄積されていきました。結果、里帰りへの期待がムクムクと膨むことになったのです。

28週にきて突然の入院。

入院の経緯はこちらのとおりですが、まずはお腹の赤ちゃんの無事にほっとしました。同時に、里帰りができないのではないのか、ということがものすごーく気になりました。

早速尋ねてみると、「32週になって経過が良かったら、退院・里帰りできる可能性があります。救急車を手配して移動することもできるからねー。」とのお言葉。そして私は素直に「32週になったら帰れるんだ。頑張ろう」と思ったのです。

てるこま
てるこま

今思えば、入院中の経過を見てというのは確信のない事。なにより私の気を保たせるための発言だったのかもしれませんが…めーっちゃ期待してしまったんですよね

待ちに待った32週!結果は?

待ちに待った32週になり、赤ちゃんは順調に成長していました。頸管長も若干伸びて3センチほど。3センチってさ、すんごいよね。すんごい長いよね(切迫のみんな!そうだよね!?)そして先生からも、転院の可能性もまぁまぁあるので予定している病院名を教えてほしいと言われました。

これは…いけると思っちゃいますよね。この時ばかりは小躍りですよ、心でね。だって、やっと帰れるんだもん。

実家付近の病院の連絡先を先生に渡し、先生が戻ってくるのを待ちます。きっと先生は、退院準備とか転院手続きなどの案内を手に戻ってくるでしょう。期待に胸膨らませ、再び先生が病室に来る瞬間を待っていました。そして、戻ってきた先生からの返事は…《受け入れ不可》だったのです。

先方の意見は、里帰り出産はもちろん受けて入れているが、切迫早産と診断されている妊婦に関しては、市内在住でないと受け入れることはできないということでした。

もちろん移動中に何かあったら取り返しがつかないし、安全を考慮してということはわかります。正論です。しかしながら私は、期待してしまった分入院が決まった時以上のショックを感じていました。

先生には連絡を取ってくれたことにお礼を言い、平常を装っていました。

でも、先生が席を外した途端。

目から涙が溢れて止まらない!自分でもびっくりするくらい!泣けて泣けて、ジャンジャンバリバリ涙涙の大サービス。

日がな一日泣き続け、面会に来た母の前でも泣き、夜に面会に来てくれた夫にも泣きつきました。泣き女という職が指名制なら、きっと天辺取っていたことでしょう。そのくらい泣き続けました。

32週で転院っていうシナリオは、私の中では1つゴールのような存在で、心の支えになっていたので。確約の無いものに大きな期待をしてしまうのは良くないことなんですけど、人は希望に縋ってしまうものなのです。

ところで私は、人前で泣きたくないうえに、気持ちの良い人に見られたいところがあります。非常に面倒くさい見栄っ張りなのです。

この場合であれば、看護師さんたちの前ではなるべく笑顔。愚痴なんてこぼさないよー。としてとしてやって来ました。しかしこの32週の一件以来、やたらと泣くようになってしまったのです。ある意味泣き女の誕生と言えるでしょう。

更なるアクシデント。赤ちゃんが育ってない⁈

さて、赤ちゃんには背中スイッチというものがあります。熟睡しているようであっても、抱っこから降ろした途端に眠りから目覚めるという現象。背中がお布団に着地すると起きるから、背中スイッチ。背中スイッチ敏感すぎー、なんてよく言われますよね。

泣き女になった私にも、どうやらスイッチが搭載されたようでした。会話をきっかけに泣いていたので、もしかしたらスイッチは耳に会ったのかもしれません。週4くらいでスイッチは過敏になり、なにかとしくしく泣いていました。

妊娠中のホルモンバランスのせいもあるでしょう。でも、安静生活にも一因があったかと思われます。

嫌なことやショックなことがあっても、家事や仕事があれば傷口から意識をそらすことができるのです。でも、安静生活だと傷口にとことん向き合ってしまうのです。じーーーっと観察してしまうのです。

泣いてすっきりすることもあれば、私の場合はどっぷりとネガティブ思考にはまってしまうことも多々ありました。

そんな風に過ごして、35週になったある日。先生から赤ちゃんの成長具合が芳しくないことを告げられます。はい、泣きスイッチon.

スマホでネガティブな情報を得ては、赤ちゃんに何かあれば自分のせいだ。そんなことを泣きながら考えていました。

せっかく病院にいるのですから、看護師さんや先生に相談すれば良いのにね。普段の私ならそういう行動に出るのですが、やはり、ホルモンの影響か、思考回路や行動、いつもと違う自分でした。今思えば、初めての妊娠・知らない土地など、慣れない状況に怯えていたんだなぁとも思います。

因みに息子は2日後の健診で、ぎりぎりではあるけれど成長曲線内の数値に入っていました。

結局ギリギリまで沼に浸かっていました

季節的なこともあり、クリスマスなのに…年末なのに…その後も結婚記念日なのに。隙あらばメソメソしていました。加えて里帰りの希望を捨てきれず。

この病院で出産しよう!そう腹が決まったのは36週になった時のこと。

この時は、点滴が急に保たなくなったこともあり、肉体的にもターニングポイントだったかなと思います。結局、私は里帰りすることなく、自宅・実家から遠く離れた病院で出産しました。

思い返せば泣いてばかりの日々でした

赤ちゃんの安否はもちろんのこと、希望が形にならない現状や、アクティブにマタニティライフを満喫している他の妊婦さんへのコンプレックスなんかでも泣けてきました。

みんなからは、『赤ちゃんのためだよ』とか『でき得る限りの安全策』と言われますが、もちろんそれは十分わかっているんです。本当に勝手で贅沢な思いですが正直に書くと〝今、わたしが辛い。どうにかして欲しい〟そういう気持ちでした。

そんな環境において、心の支えは色々な方の管理入院のブログや体験談。こちらは読み手ではあるけれども、辛さを共有してもらえている。そんな気がして少し楽になりました。求めていたのは、諭しや応援ではなく、共闘だったのかも知れません。同じ境遇でがんばっているブロガーさんたちがなにより心の支えでした。

辛いけれども一日一日を過ごしていくことが、一番の治療なんでしょう。ご飯食べて、本読んだり、ゲームしたり、ネットサーフィンしたり、またご飯食べて、辛くなったら泣いて。そうしているうちに時間が経って、きっと赤ちゃんは応えてくれます。

グズグズ泣き通しな内容なうえに長いお話しになりました。でも、こんな私でも出産できたということ。今、どうしようもない辛さを感じている誰かが、少しでも元気になれるかなと思い書きました。私が沢山のブロガーさんに助けてもらえたように。