こんにちは、てるこまです。
切迫早産で入院した私が、出産に至るまでの経緯を連載形式で記録しています。
出産の記録はこちらから読めます。
点滴抜去を間近に控えた私の心境
さて、前回のとおり、点滴抜去を約10日後に控えた私。
運命の分かれ道ともいえる一大イベントを前に私の感情は意外や意外、とってもポジティブでした。
流石にこの期に及んで、帰れる期待に胸膨らませ…ではありません。
退院できても出産になっても、もうどちらでもよくなったのです。
決して投げやりになったのではありません。
言うなれば、やりきった感。達成感。
とにかくこの日々が終わるんだ!自分、めっちゃ頑張ったなぁ!
妊娠後期に入りすぐ入院。
知らない土地で夫婦ばらばら。それぞれの孤独に耐えて、出来ることは日数稼ぎ。
そして、やっとやっと迎える正産期。
この生活も遂に。や……っと終わる。
本当に、晴れ晴れとした気持ちでした。
それから、長く入院したこともプラスに転じ、この病院で産みたいという感情も芽生え始めていました。
スタッフ全員顔見知り。皆んなからの応援をめちゃくちゃ感じる
産科医はもちろん、ナースのみなさん、シーツ交換のお姉さんチーム、お掃除のおばちゃん…
みーんな、顔と名前が一致していました。
おしゃべりに花咲かせて、ナースさんたちの家族構成やお掃除のおばちゃんのお子さんのこととか、私も自分の出身や夫との馴れ初め、お互いプライベートな所まで知っている程になっていました。
加えて、泣いて泣いてわがまま言って、散々かっこ悪いところ見せたので、気づけばすっかり心を許していたのです。
まるっと打ち解けてしまった。
他のどの病院で産んだとしても、このリラックス感はないでしょう。
きっと産後は、心からのおめでとうがあるはず。
自惚れじゃなく、いつもいつもスタッフの皆さんからの気遣いと支えを感じていました。
自分が安心できて、子供の安全も出来る限り保証される、心境的にも設備的にもこの病院で産むことがベストなんじゃないかなと思い始めました。
入院以来感じていたコンプレックスにもようやく終止符を打つ
実は入院し始めた頃からずっと、入院したこと・退院できずに出産することに対して負けのような、ネガティブイメージ、負のレッテルを貼っていました。
妊婦であっても、アクティブに自分らしくという風潮が強いこのご時世、ベッドに縛り付けられ、自由や自分らしさからは程遠く、自宅・実家から遠い病院にたった1人。
窓から見える風景はこれまで見たこともない、雪の積もった山々。
思い描いていたマタニティライフとはあまりにも違いすぎて。
お腹の赤ちゃんへの申し訳なさや心配と、世間に対するコンプレックス。
こういった感情に飲み込まれて、もがきたくても何もしてはいけない日々。
本当に辛かった。
でも、正産期が近くにつれ、こんな不安や苛立ちが薄れていきました。
『経過がどうであれ、無事に赤ちゃんが産まれれば、それだけで100点なんじゃないか』という、当たり前のことに気付いたのです。
本当にようやく。
でも、これに気づけた時こそ、入院した経験が私にとってプラスに転じた瞬間でした。
私には、入院してから毎日習慣にしていることがありました。
それは、1日の終わりに息子に語りかけることです。
今日も一日がんばったね。お腹の中にいてくれてありがとう。
明日も、お腹の中でママと一緒に頑張ろうね。
この語りかけを点滴抜去当日になったら、変えてみよう。
もう出てきても大丈夫だよ、って言ってみよう。
とても自然にそう思ったのです。
出てくるのは、先生を信じて1月4日が1番いいんじゃないかな。
今の私にできることは、抜去までわずかに残る日々を、とにかく安静に、健康に過ごすことのみ。
いつ産まれるかはわからない、この状況は変わりは無いわけです。
10日間を待たずに産まれてくるかもしれません。
入院生活ラストスパート、慎重に慎重に過ごしました。
次回はいよいよ、抜去の瞬間です。
本日も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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