30年近く母にお弁当を作ってもらっていた私の話し。

日常の些末な出来事
こまわりずむ。 http://terukoma.net/
てるこま
てるこま

あれよあれよという間に9月。皆様いかがお過ごしでしょうか。

信じられないほどの期間、ブログを放置しておりました私ですが、元気に過ごしています。久しぶりのブログ更新は、新しい我が家での生活習慣『お弁当』についてです。

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お弁当作りと幼稚園生活、同時にスタートを切りました

もちろん作っているのは年少さんのお弁当。ささやかなものです。

ごはんの量はちょっとだし、おかずは卵焼きとウインナーなど定番の皆さん。野菜を食べ物と思っていない長男に向けて、彩りは一工夫。赤要員・トマトの代打は仮面ライダー1号、緑ならばブロッコリーではなく仮面ライダーV3。お弁当全体を引き締めるは、ショッカーの黒、といったところでしょうか。(ピックは仮面ライダーを愛用中) 要は、栄養バランスよりも開けて楽しくご機嫌なお弁当を作っています。

と、ここまで書いておいてなんですが、今回の主題となるは現在作り手である私のお弁当。かつて私が母ひでこに作ってもらっていた、もう過ぎ去ってしまったお弁当達に思いを馳せたいと思います。

私のお弁当物語 ドキドキわくわく初めてのお弁当

ところで大前提として、私はお弁当が好きです。

蓋を開けると解き放たれる、食材と共に閉じ込められた空気、なんだか嫌いじゃありません。冷え切ったご飯。ボロボロと硬く崩れる独特の食感もまた一興。梅干しが転写されて魚拓みたいになったご飯を見ると、うふっとなります。お弁当苦手派が掲げるマイナス要素も、私にしてみれば旨味のひとつ・飽きさせないギミックだったりするのです。もしかすると私って、お弁当というものを結構偏愛しているかもしれません。

てるこま
てるこま

皆様へお弁当への愛をお伝えしたところで、その思い出について記していきましょう。

最古は幼稚園の年中さんのときの出来事。初めて幼稚園でお弁当を食べた日のことです。それは私が『保護者の同伴なく、持参したお弁当を自分で食べた』初めての日でもありました。

お友達と席を並べての食事、心の中には緊張とわくわくでいっぱい。浮足立しつつ一口目にプチトマトを咥えたら、中身がぴゅーっと噴き出してしまったのです。

突然のトラブルに固まる私。あの時、幼くも感じた『初日からやってしまった感』。30年近く経った今もありありと覚えています。どうしたものか…顔に縦線を垂らして硬直していると、声をかけられました。声の主は、お隣の女の子。『零しちゃったの?先生を呼べば大丈夫だよ!』とその子が言うと、すぐに先生が来てくれ、机や園服は綺麗に元通り。

プチトマトの暴発という一大事を経たことで緊張が解け、そしてお友達との距離が縮まったように感じました。この日から、私とひでこのお弁当の長い物語が始まったのです。

 

食べ手・私、作り手・母ひでこによるお弁当物語は、幼稚園生活を経て小学校時代の塾弁、中学高校時代と続きます。この物語が一番賑やかでエネルギッシュだったのは、高校生の頃だったかもしれません。

『カニクリームコロッケ事件』なんていうことがありました。まぁ、今思えば別に面白くもなんともないのですが、飾りの爪が垂直立ちしたって言うお話です。食事中にうっかり爪を落とし、拾おうと見たら親友の足の甲で垂直立ちしたんですよね。爪が。体操選手さながらの美しい着地を決めたカニ爪に、みんなみんな笑いが止まらなかったっていう高校生時代のエピソードです。

なんてことない出来事がお弁当箱の傍ではものすごく楽しいことになってしまう。これも、私がお弁当好きな理由のひとつなのかなと思っています。

お弁当物語/異形編 オフィスで母のお弁当を食すプロのパラサイトシングル

社会人になると、お弁当物語は微笑ましい以外の様相を持ち始めました。

おいぬさん
おいぬさん

え。働き始めてもひでこにお弁当を作ってもらってたってこと?

 

てるこま
てるこま

……。そうよ。そうなのよ。

私は、母手製のお弁当を持参していることを職場で特に隠しませんでした。 もちろん『大人になっても母にお弁当を作ってもらっていること』に対して危機感を抱いていました。でも、みなさんが『お母さん優しいわねー』とか『てるこまさんって、ご家族の仲がとってもいいんでしょうね』なーんて言ってくれたのです。この、悪く言う人がいないという環境が私にまずい自信を与えます。

『そうそうそうそう、そうなの!お母さん優しいし、家族の仲もとーっても良いんですぅ!』開き直っちゃったうえに調子に乗っちゃったったんですねぇ。そしてあろうことか、母親に昼食を準備してもらっていることを自分の素敵ポイントと思うようになってしまったのです。 食べてるだけなのに。何にもしてないのに。

おいぬさん
おいぬさん

えっとぉ。

お母さんにお弁当を作ってもらってたのって厳しく見ても重罪ではないかもね。でも、魅力にはならないと思うんだ!何をまかり間違って、魅力のひとつと思っちゃったのさ。

ほんと、意味が解りませんね。 ひとつ言えることは、周囲の皆さんがとーっても大人で優しかったんです。

全員しっかりとしたお姉さん方で、他人の昼食にちゃちゃいれるような子どもではなかったのですね。(他人がデスクで何食ってようがおかまいなし。これって簡単そうで、できない人多いのではないでしょうか。)そして、ありがたいことに私のことをとてもとてもかわいがってくれていました。

そしてさらに弁解をすると、当時母は父のお弁当を作っていました。それで私に『1つ作るのも2つ作るのも手間は同じだから、あなたの分も作ろうか?』と提案してくれたのです。で、そのうまい話に『はいはーい!』と乗っかったわけです。(お弁当だけに)どんな家事でも作業数は少ないに越したことはないという真実を知る由もなく。

結果として、『お弁当物語/異形編』ともいえる『アラサー女が母のお弁当を職場で食らう』状態は、私が結婚して実家を出る直前まで、なんと5年近くも展開してしまったのでした。

お弁当物語新章スタート 圧倒的食べ手は作り手へと転身

お弁当は絶対に作らないという、確固たる意志があったわけではありません。なんとなくそのまま食べ続けていたら、学生から社会人になっていたのです。そんな私も母となり、相変わらず時の流れに身を任せていたら、ある日、自分が作る側として台所に立っていました。

お弁当物語が私と母から私と長男に登場人物を変えてスタートした今、私はもう一度過ぎて行ってしまったお弁当達の味を噛みしめようと思ったのです。数えきれないほどのお弁当達を、母性や無償の愛として消費してしまうのは、なんだか暴力的ではありませんか。けれど、思い返したところでぴったりの言葉などないのです。子育てという、1人の人間のリアルな体当たりの日常の積み重ねは、他の誰かが言葉で表せるものではないのかもしれません。昼食でさえ30年近くも面倒を見てもらってしまった私は、母には到底かなう気がしないのです。でも、私なりの子育てを経た先には何らかの景色が見えるでしょう。それをいつか母と語り合うことをひとつの目標に、今日もささやかなお弁当を作ってみるのでした。

おいぬさん
おいぬさん

子育ての域を超えるほど、お弁当作ってもらってたくせに。

てるこま
てるこま

最後にこれは言わせて!社会人になってからはお弁当箱は洗っていました!容器はね、綺麗にしてから持って帰っていたんですよ!自分でね、ちゃんと洗っていたんだよ!

下手な弁解はやめた方が良いので、この辺でお終いにしましょうか。

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